偏食

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イージーライダー

イージー★ライダー (字幕版)

イージー★ライダー (字幕版)


見終わった後、なんとも言えない気持ちになった。なんだろうこの呆気なさ、すごく唐突で、この映画のラストに対してこちらはなんの準備もできなかった…

イージーライダー、はじめは(ははあ、ヒッピーの男性2人の話なのかあ)(変わったショットのつなぎ方だなあ)と頭空っぽにして、青い空とその下をバイクで駆け抜ける男二人をぼんやり見ていたし、見方としてそれはきっと間違ってはいないと思う(そもそも映画の見方に正しいもクソもない)。何しろ男二人の情報はほぼ提示されず、格好や行動からヒッピーだな、くらいしか読み取ることができない。

だが途中から、おや?と底知れぬ違和感を感じ始めた。具体的にどこからとは言えないのだが、これがただ男二人が走り回るだけの映画ではないぞ、と漠然と感じるようになり、それを確信したのが弁護士が殴り殺されたところである。
エッこの映画人死ぬの、と驚いてたら主人公たちはあっさりと弁護士の死を受け入れてしまった。いや、実際2人は弁護士が死んで悲しかっただろうし、弁護士の死を悼んだからこそあの店に行ったのだろうけど、2人が泣き喚いたとか、死体に縋って頭を抱える、とかいう描写が描かれなかったためにやけにあっさりとした印象を受けた。
この主人公2人の死についても同様だ。ビリーとキャプテンアメリカの死は明確に描かれていないため、本当に死んだのか定かではないが、十中八九死んでいる。というか2人は死んでいなければいけない、と思う。
何故なら死は理不尽なものだし、死は唐突にくるものだから。非常にリアルだ。

私は公明な学者様ではないから、当時のアメリカ社会だのヒッピー達がどんな感じで〜だの語る気は無いけど、弁護士さんの言葉が印象的だった。「自由を語ることは許されるが、自由であることは恐れられる」この言葉でこの映画のほとんどを表現してしまったんじゃなかろうか。前半あんなに自由に青空の下、髪をなびかせながらバイクで走っていたぶん、後半のラリラリシーンが脳天にフルスイングで叩き込まれるわあ。あそこのシーン、すごく好きです。「母さんお前を憎んでいる」て言いながら聖母像に縋り付くキャプテンアメリカを見るのは辛い。
う〜〜〜〜〜んもう一度見たい